ころのおうち

2005年10月07日気が向いた事をきまぐれに。

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思う事(デジタリアンらぷそでぃ)

ネットというのは、変な言い方ではあるが
基本的にピアつーピア(一対一)の世界。

どこで何を見るのも、聞くのも、探すのも、
利用者個人の決定の先にあるものである。
話はずれるが、だから『広告』が利用者とはなじます、その表示方法に関して、
発信者と受信者のいたちごっこがつづく状態にになってるんだが。

話を戻そう

ゆえに、ネットの出来事に関して「集団 対 集団」という扱いすれば、
かならず反発が起きてくる。

団体とおもわれがちの「ウェブリング」とか「同盟」とか「コミュニティ」であっても
集団で一つの方向を向いていく事を強要される訳はなく、
趣向が気に入ったという理由によって、参加者が自主的に参加しているもの。

そして、所属していてかかる責任は一般的なモラルとマナー。
参加後もイズム的な方向性が違うとかさまざまあって、あわないなとおもえれば、
参加をやめるのも自由。
そして、自由であるからこそ、すべてが自己責任。
(ゆえになんでも他人の責任にする発言は蔑まされ馬鹿にされるわけなのだが)

そうはいっても、無知に対して、ヘビーなネット参加者が冷徹という訳でもない。
彼らをある程度容認し、緒言をあたえ、成長を待つ余裕も存在している。
しかしまた、これも、個人対個人の関係がゆえにあるものである。

つまりネット世界というものは、
誰かがいうから、とか、どこかの決まりだからという他人まかせの
義務感からではない、自発的、自主的な行動でもって、
その真価をみせてくれるものだとおもわれる。
個人対個人の世界だからこそ、
見えない名前を超えて信頼が生まれ、
無責任な言動は激しく糾弾される。

著作権に関して、
データの交換、とどまる事なく流される情報をみて、
無法地帯のようには見えるのかもしれないが、実は厳格。
二次制作者がオリジナルを主張した瞬間、
総攻撃が開始されることはよくある世界。

それはどうしてなのか。

それは、ネット世界を築き上げてきた先駆者の多くが
理系の創作者たちだからだ。

コンピューターの世界の基本は、
意図した通りに動かないのは自分のミス。
しかし、どんなに対策しても、調べても意図したとおりに動かない事がおきる
そんなときの解決は、元プログラムを発表したもの、
同じプログラムを持った有志が、解決にあつまる。
そのときに集まった知識は共有とされ、更なる開発のために公開される。
そういうことがあたり前の世界。

作り上げる事が、どれほどの労力と時間がかかり
大変なのかを、皆が知っている。
知っている人があつまってしまった世界。
つまり、個人の世界ではあるけど、個人の能力の限界もわかっている。
だからこそ、
超越的な個人主義のため、知的創造物は共有されているのだといえる。

きれい過ぎる表現かもしれないが、
「未熟な自分が受けたものは、成長した自分がいずれ返すもの」
そんな世界。

そういうのが基本に流れている世界だと思う。

そんな中で独占を宣言すればどうなるだろうか?
結果は火を見るよりも明らかだとは思わないか?

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【2005/10/07 19:36】| トラックバック(0)| コメント(0)
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